11.05.2012






























































































 
 
日立に新しい仕事が始まる前に8年ぶりに向かった。いつも気になっていてもなかなか足が向かない。その心象風景とでもいうべき地を写真にも撮っておきたかった。いつものように常磐線の各駅で向かうと、迎えに来なくていいと言っておいたのに祖母が改札の外に傘を2本持って立っていた。いつも使っていた旧改札のほうは閉鎖されていて、駅も驚くほど現代的になっていた。オーシャンビューで海にはマイアミにでもありそうな道路。祖母と変わらない道をたどって帰る。地震の傷跡も目に付いた。石鹸もないような相変わらずの野生児的昔人ぼろ屋に住み続けている祖父母。眼下には海が見える。小さいときには気にならなかったけど、そのある種の不潔さというのは今回耐え難いレベルであったことをはっきりと認識した。せめて夏でなくて真冬とかにいくべきやった。止まらない祖母の話をききながらおそるおそる食事をとり、恐る恐るはいらないほうがいいくらいの風呂に入り、かさかさと不気味な音が気になって眠れない布団でなんとか目をつぶって朝を迎えた。替えがたい懐かしさがあるのだけど耐え難い住環境。「この家一回全部焼き払ったほうがいいよ」「そんなこといってもこれ全部大事なものだし、じき死ぬんだから」「こんなんだから親戚だれも遊びに来ないんだよ」とくに女だらけの親族がこんな家に来たがるはずがなかった。母が幼い時、日立に行くと必ず浴場施設に行きたがっていたのを思い出した。落ち着いて座っていることさえままならない。       
祖母が「たっくんいい靴はいてきてるから滝川渓谷でも行くか?」といったので行く。自分は免許さえないので、祖母の運転で町を抜け山を越して豊かな自然の中へはいってゆく。途中日立製鉄?かなにかの話を聞く。昔は多くの人が住んでいた地帯。日立の歴史の歩みを知りたいと思う。トレッキングコースの入り口には農家のおじさんみたいな人が二人いて、「風評被害でお客さん来ないから入山料とらなくなったんだよ」とか祖母と話していた。恐ろしいくらい社交的で行動的な祖母はぐんぐんと前を歩いていく。自分はパシャパシャ写真など撮りながら。合間に蕗を摘んだり。祖母は蛇がだいの苦手なので、「ぎゃー」と大声がするときは蛇や蛇らしきものを見間違えた時だ。そのときはほんとにヤマガカシが横をすり抜けていった。片道30分くらいだよと聞いていたけど、1時間くらいかかって滝や川と見ながらゴールにたどり着き、一休みする。祖母がホットコーヒーを入れてくれたけどそれさえ汚らしい。なんともすばらしい思い出。植物を愛する一族。        帰り道道の駅でとんかつをごちそうになり、貧乏なのに「孫に小遣いやれてるうちが華だから」と1万円握らせられた。自分が親や祖父母に小遣いやれるようになる日は来るのだろうか?    それからきれいな西洋風の花がたくさん咲いているガーデンにより、そのまま日立駅まで送ってもらって帰る。最後に新しくできた海の上のマイアミにでもありそうな道路も通ってくれて。   2泊は拷問に近い。祖父母が元気なうちに孫でも見せてやるのが自分のなによりの孝行なんだろうなとは常に思っている。とんかつと祖母の蕎麦まで食べたからトイレによってまた常磐線に乗る。今度来るのは葬式の時であるのは間違いない気がした。でもこれでいつでも日立の幼い時から見ていた光景ををはっきりと感じることができる。